「フォトグラファーは料理人である」
写真はカメラがあれば誰だって撮れる。フォトグラファーは誰にでもなれる。
そんな時代だからこそ、本物の「料理人」を目指していくべき。
初めまして、木下 令(きのした れい)と申します。全国にある婚礼の写真スタジオを運営している株式会社デコルテという会社に籍を置いております。
1980年6月に生まれた私、気がつけばもう42歳になるまでの日々を過ごしてまいりました。
見た目はちょっと太め。首と顎の境もわかりにくくなってきました。数年前までは細かったんですけどね。
文章を書くことも、人になにかをロジカルに伝えることも苦手としている私に、今回のお声をかけてくださったラボネットワークの皆様には、この機会を与えてくれたことに対し感謝をするとともに、この6回を持ってこれまで度々ミス発注などをリカバーしてくれた恩返しをさせていただこうと思います。
さて初回は私の自己紹介を兼ねた寄稿とさせて頂くことにしました。
まずは私の「写真」との出会い、きっかけから。
私の写真にまつわる最初の「きっかけ」は小学校高学年の頃、家が写真業を営む友達が持っていた使い捨てフィルムカメラの最後の1枚を撮らせてもらったこと。
そして嘘かほんとか、ただそのバスケットゴールと青空の映る写真を「天才的にいい写真!」と褒めてもらえただけ。ただそれだけの言葉ですが、今でも私の背中をしっかり支えてくれています。
しかしその反面、無責任に子供を褒めるのも良く無いなと思うておる次第です。
さて。写真の世界を生業としている今の私があるのは、この何気ない褒め言葉が自信過剰な私の背中を押す大きなきっかけになったように思います。
そんな天才の称号を手に入れてから10年ほどの時を経て、カメラの前に車を手に入れた私は目的もなく時間を見つけては空港に出かけておりました。
何故か魅力を感じていた空港内の雑音や英語のアナウンス、ジェット燃料の匂い、旅そのものであったり、出会いや別れを連想させる空気の流れる「空港と飛行機」というものに何故か魅了され、ただ空港のベンチや、滑走路の見える芝生に座ってボーっとしているだけの時間を幸せに感じておりました。
そんなある日、初代のEOS KISS を親戚に貰うという運命の日を迎えました。
そんなベタベタしたグリップのおもちゃを手に入れた、私の左目の向こうにある汚いガラス越しの小さな景色は、当然いつもの空港や飛行機のある世界でした。
夏の景色と小学生の列、入道雲の手前に離陸した東京行きの青い飛行機 みたいな「風景の中にある飛行機」を撮るべく、ひたすら炎天下の中でそんな瞬間を捕まえる休日を楽しんでおりました。
思った絵が撮れたときのそれは、まるでビックリマンのキラキラなシールがチョコとパッケージの隙間から出てきたときのような、少年時代に感じていた喜びそのものでした。
その頃広告関係の会社で営業職をしていた私は、最低な上司に恵まれたこともあり6年でその職に別れを告げ、風景の中にある飛行機の写真をたくさんもって、ブライダルの写真を撮る現在の会社の門を叩くことになります。
ブライダルの写真を撮る会社に、飛行機の写真を持って面接に行ってから10年以上が過ぎ、今はそこで一般のお客様の撮影をしたり、スタジオサイトの広告写真を撮影したり、面接をしたり技術指導をしたり、そんな毎日を過ごしています。
そして、あっ! というまにこんなおじさんになってしまいました。
時間が流れるのは本当に早いものです。
もうこの第一回も終わりになります。
私が「写真」について考えていることを、残り5回にわけてお伝えさせていただこうと思っております。半年のお付き合いになりますが、皆様に何かヒントとなるものが書ければいいなと思っておりますので、どうぞ最終回までお付き合い頂けましたら嬉しく思います。
次回は、「インプット」に関してお話させてもらおうと思うております。
では、今日も美味しい夕ご飯を食べて明日もがんばりましょう。
「株式会社デコルテ」
木下 令(きのした れい)
広告業界の営業職を経て株式会社デコルテへ入る。
年間約150組のフォトウェディングの撮影をメインにし、国内外のコンテストも積極的に参加し多数のアワードを受賞。社内での研修プログラムや技術指導も担当している。
公式HP
https://www.decollte.co.jp/brand/photo_index.php