自己紹介・プロローグ:池田 博氏 #1

自己紹介

はじめまして
13年間ほどキタムラグループの情報システム部で受注〜プリントまでのシステムに携わってきた、池田博と申します。
現在はキタムラを定年退職し、フリーランスとして株式会社ラボ生産のコンサルティングを続けています。
初回は自分の自己紹介を兼ねて、今まで経験してきたことを思い出しながら書いていきたいと思います。

はじめてのカメラ

父は結婚前から写真が好きだったようで、家にはカメラや現像タンク、引き伸ばし機等がありましたが、自分の前で使うことは無かったと記憶しています。
自分が子供の時には、引き伸ばし機が幻灯機(いわゆるスチル映写機)(笑)になり、スライド(リバーサルフィルム)を襖に映写するという様なことをしておりました。

Ⓒリコーイメージング株式会社

カメラは少し触らせてくれて、小学校3年生くらいから、父のリコー製のリコレットでネオパンSSを入れて、写真を撮影し始めました。クラス有志のハイキングの時、集合写真を撮影したのを覚えています。中学に入って、東京光学機械株式会社(現トプコン)製のTOPCON UNIREXを使わせてもらっていました。(超マイナーですよね)
ただ、現像・焼き付けは町の写真屋さんにお願いしていました。

その後、写真にどっぷりのめり込むことは無かったのですが、大学時代は教授の学会用のスライドを作成依頼されました。教授が学会発表したところ、学会で他大学の教授陣から発表内容もさることながら、「このスライドは、どうやって作成したんだ」との話が出たらしく、その後、卒業するまでスライド作成を任されるようになってしまいました(笑)。

当時は烏口(からすぐち)とニードルペンで構造式を書き、文字は最新の透明シール用刻印機(名称忘れました・・・)で作成、A4のケント紙に製図し、富士写真フイルム製ミニコピーフィルムでモノクロ撮影、さくらカラーホイル(ジアゾフィルム)にコンタクト露光し、アンモニア現像するという様な状況で、現在PowerPointで投影画像を作成する人からは考えられない様な工程を踏んで作成しておりました。

メーカー勤務

大学の先輩が研究室に遊びに来て、話にのせられてその先輩が勤務する会社を受けることになりました。
工学部応用化学科に在籍していた当時は、ほぼ会社を決めたら、教授に推薦状を書いてもらう、という一択で、落ちたら次を考えるという悠長な時代でした。
運良く合格し、1ヶ月間の営業実習、1ヶ月間の工場実習の後にフィルム開発の部署に配属されました。
当時のフィルム開発はなんでもありの世界で、物理熟成(感光材料のハロゲン化銀の結晶成長)や化学熟成(ハロゲン化銀の高感度化)に始まり、カプラー(色素になるまえの化合物)分散、層構成の組み立て等を経験しました。テストプラントで作成したフィルムは出来が良ければ、手でスリット(35mm幅に切る)し、パーフォレーション(カメラ内で搬送する穴)を開け、パトローネに詰めて実写し、現像・プリントまでやっていました。
フィルム開発を数年続けたのち、別の研究室に呼ばれました。そこは新商品の構想を練る少人数の研究室で、フィルム、印画紙、システム、何でもありの所でした。ある人はミニラボ店内でビデオカメラを終日回し、作業解析から商品化できるところを探したり、自分は写真撮影をしている人をビデオカメラに収めるべく、成人式や公園、夜の山下公園等に行き、人々がどういう写真が撮りたいのかを推測し、そのためにどの様な商品が必要なのかを検討していました。(今の時代には自由にできないことですが・・・)これらの情報は、カメラ開発やラボ機器開発の方々と情報交換を行い、製品に反映されていきました。

しばらくして、イーストマン・コダック(以下EK)がフォトCDなるものを世に出すということで、社内での対応メンバーとなりました。今は無きEKの横浜研究所に行ったり、EKとフォトCD規格を共同策定したフィリップスの方とも色々と情報交換をしていました。


その後、実際のフォトCDのサービス展開と共に市場サポートの為、開発から営業技術部に異動となりましたが、問い合わせは関連ラボやお客様からではなく、多くはメーカー、新聞社、雑誌社等からでした。
フォトCD普及まではフォトCDの対応というよりも、通常の銀塩商品のサポートが大半の状況でした。
ミニパトローネを使ったレンズ付きフィルムの市場展開サポートや、3Dシステムの市場展開サポートも行い、いずれも世界発のものを世に出すという貴重な経験ができました。

そうこうしている間に、SONYとピクチャーMDシステムの共同開発を行うこととなり、そのメンバーに呼ばれ、品川の開発部署に行き来することになりました。社外のメンバーもそうでしたが、社内の交流したことのない別部署のメンバーとの共同開発は、非常に新鮮で刺激となりました。もともとMDメディアは日本国内だけで音楽用に使われていたものなので、メーカー戦略があるとは言え、世界展開はちょっと大変でした。その後、ピクチャーMDシステムのフィルムスキャナがSCSI接続できるようになり、単体ではかなり売り上げた様です。

どういう経緯か、ラボ用デジタル露光機のプリント出力調整と出荷検査を手伝って欲しいとのことで、関連会社の生産工場に入り込み、毎日工場で検査をしていましたが、検査項目結果を紙とホワイトボードに記載していたので、パソコンでテキストファイルで記録するついでに、HTMLも書いてWebブラウザで見える様にしたりしていました。ただ、配信するWWWサーバが無かったので、パソコン上でブラウザで見るだけでしたが・・・(笑)
それが終わるとデジタルミニラボの開発部署に呼ばれ、ノーリツ鋼機株式会社のデジタルミニラボと結合させるべく、共同で検討を行ったりしました。細々とミニラボ店用のネットプリント用システム開発を行っている時に、社内に正式にネットプリントサービスを検討する部署ができ、この時はラボ側の開発を担当しました。
関東のメーカー関連会社ラボが統合され、デジタルラボに移行するときにも工場のデジタル部分を担当し、ラボの業務を兼務しました。

キタムラグループへ

そのラボも2006年にラボネットワーク(以下LNW)と合併することになり、一時、医用の方へ異動し、PACS(X線、CT、MRI等の画像を画面で見るシステム)や電子カルテ等を手掛けていましたが、やはり骨の写真より肉がついた写真の方に戻りたく、2008年1月にキタムラグループでグループの事業改革・新規事業開発を専門に研究する子会社である「株式会社トランスフォーメーション」に転職しました。そこでは、主にラボ側のシステムを中心に開発に携わることになりました。当時はまだLNWが販売部門と生産部門を持っている時で、LNWが展開している学校写真システム(おまかせ君)、キタムラ店頭のプリント受注システム、スタジオマリオの受注システム、フォト本等の開発、富士フイルムさんのシステムとのつなぎこみの開発に携わりました。
翌2009年4月にLNWは販売会社である「株式会社ラボネットワーク」と製造会社である「株式会社ラボ生産」に分社され、その後も主としてラボ側のシステムを中心に担当しましたが、フロントの受注システムにも絡みました。

このLABlogでは、アナログ写真システムとデジタル写真システムの両方に携わってきた中で、いろいろと経験したことを書いていきたいと思います。


今後の予定としましては、以下を考えております。
第1回 自己紹介・プロローグ(今回)
■LABlog 第2回 フィルムからデジカメへ
■LABlog 第3回 デジタル出力
■LABlog 第4回 ネットワークサービス
■LABlog 第5回 ラボ内での処理について

次回以降もよろしくお願いいたします。

ラボネットワークのフォトプリントについて

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