フルデジタルラボに進化
コニカミノルタの歴史
2006年初頭に、コニカミノルタが写真事業から撤退するという衝撃的な発表がありました。
当時、私はプロラボ統括責任者でしたから、水面下で万端の準備を整えていました。
コニカミノルタの写真ビジネスは3つに分割譲渡され、フィルムなど感光材料は大日本印刷DNP社が、カメラ部門はSONYが継承しました。
コニカミノルタは当時キヤノン/ニコンの2大メーカーと競っていましたが、カメラの開発史上、多くの画期的製品を世に送り出しました。ストロボ内蔵ピッカリコニカ(ストロボ屋さんゴメンなさい)、世界初Honeywellビジトロニックモジュールを活用したオートフォーカスカメラであるジャスピンコニカ、そしてミノルタのα7000は現在のオートフォーカス一眼に大きな技術革新をもたらしました。
SONYはコニカミノルタのAマウントデジタル一眼レフを手始めに、現在のベストセラー機であるフルサイズミラーレス一眼(ICL)のFE(E)マウントαシリーズ開発に大きく寄与しました。
ラボネットワーク(以下LNW)は、コニカミノルタの基幹デジタルラボの川口ラボと一つになりました。この写真ビジネスはコニカミノルタのコニカ(旧小西六写真工業)由来ですが、コニカは銀塩写真の歴史に大きな足跡を残しています。
LNWラボ、コニカミノルタ川口ラボと融合へ
日本初の国産カラーフィルムは1941年(昭和16年)小西六の『さくら天然色フヰルム』で、外式カラーリバーサルフィルムでした。
カラーネガフィルムの20枚撮りを24枚に、カラープリントの退色性を大きく改良した『コニカ100年プリント』、そして肌色再現を重視したカラーネガフィルム『ママ撮って』などが鮮明に記憶に残ります。
個人の感想ですが、当時富士フイルム技術者は非常に論理的で保守的に感じましたが、コニカのみなさんは発想豊かでユニークな技術者が多かったような印象でした。
2006年合併時点、コニカミノルタ川口ラボは現在に繋がるデジタルサービスの多くを発想開発し具体化している先進的ラボでした。
プロラボ激戦区の関西で培った写真技術に加えて、コニカミノルタの先進的デジタルラボ技術を融合したLNWラボは、現在に至る発展の礎を得たと強く確信した時期でした。
ラボ現場の技術者の仲間、そしてコニカミノルタ時代開発に携わっていた技術者のみなさんから、多くを学ぶ事ができました。
新生LNWラボ最初の仕事
『写真アルバムプロ』の誕生
当時ブライダルアルバムはカラーペーパーを貼込んだアナログ製本や、HP社液体トナー方式インディゴで出力した印刷方式が一般的でした。
LNWは印刷方式で製本した質感やフルフラット性(見開き)、そしてこれまで重視してきた銀塩写真の品質を重視した製品開発に全力傾注し、『写真アルバムプロ』を世に送り出します。
カラーペーパーでは構造上両面プリントはできないので、薄いカラーペーパーを貼り合わせる方法の自動化にチャレンジし成功しました。
これは従来自社が得意とする写真年賀状生産のノウハウを存分に生かした技術です。
私の仕事分担は『アルバム写真品質』でした。
ここでも、コニカミノルタの開発技術者のプリンタ制御技術があって初めて理想とする写真品質を実現する事ができたと回想します。
次回は9月下旬公開予定です